
記憶 F50号
この作品は、2002年初めて現展に出品した作品で 現展が何かよくわからずに
人に勧められるままに出した作品ですが・・・先日まで この作品の題名を忘れてて
(^^) dorothyさんの記憶のテーマ(ブログ)を見て、ハッ!!
(そうだ、記憶だ!!)←記憶が・・・飛んでた。写真??無いな、
この頃デジカメも無いし
(段々と・・記憶がよみがえってきた)・・そういや、これは初入選で出版会社がこぞって
本に載せろ・載せろ。断りきれずに本に出したっけ。
ここで、文明のりき、スキャナなんてのを 使ってみよう と。
できた!画集から取ったから・・画像をカットしたり、そりゃあ頑張った。
凄くない?? 無いか^^。
アートジャーナルって本ですが、この作品に<佃 堅輔=評論家>の評論付き
「赤と白のケシの花の背後に、大きく浮かぶのは月だろう。赤い空から街の切片の
ように、 降り注ぐのは光なのか。その下方の深く鮮烈な青色は湖水なのか。
記憶が、永遠にかえらない過ぎ去った時を、内面化されたひとつの窓を通して
たぐり寄せる 景色の幻想。 月と見たてたものは、ケシの真紅にも似て落日
の悲哀であるかもしれない」
この文章をみた青年が・・・「こんな気持ちで描いたんですか!評論家は、当たっ
ているのですか?」 なんて質問されたっけ・・・。「絵は見る側の、お好きなよう
に解釈してくださって結構ですよ」 なんて答えたな。(段々 記憶がかえって
きたよ^^)
実のところ、この作品・・評論家は写真をみて評論したのでしょうね、、、よーく
見てみて 月のようなものの中に・・女性がいるのよ。このことに 触れずして
評論してる・・・実はここに、 私の記憶をテーマにした理由があるのにさ!
わかっちゃいねーな!って 今頃いっても遅いけどね。
50号で、そんなに力いっぱいに描いた!!って作品でもなく、普段 赤って
色を使わないので 私としては、少しいつもと違う作品 の 記憶です。
へへ・・・娘から 届いたキュートな お花。 ありがとね!